LIFE

芸術は人生に驚きを与えてくれる

こんにちは。

僕はここ4日間、計20時間ほど、全く興味のなかった俳句についてずっと学んでいました。

そんな日本の芸術ともいえる俳句を半ば無理矢理ですが学んでいて気づいたことがありました。

そもそも皆さんは芸術と聞いて何をイメージしますか?

絵画でしょうか、写真でしょうか、それとも俳句や書道といった和テイストのものでしょうか。

これらは全て特殊な手段、形式において美を表現しているという点で、芸術といえるでしょう。

そんな芸術は私たちの人生に驚きを与えてくれるのではないかという話です。

芸術が与えてくれるもの

白い繊維の3つの銀のペイントブラシ

じゃあ芸術が与えてくれるものってなんなんだということについて考えてみたいと思います。

「描いた絵、撮った写真、詠んだ句」

これらには基本的に何かメッセージがあり、受け取り手はそれを鑑賞することで少なからず何かを思うでしょう。

「鑑賞する側にとっての何か」とは感動かもしれませんし、元気がでるといった類いのものかもしれません。

芸術の価値はこの受け取り手に何かを与えたかどうかという点について度々フォーカスされています。
それでは鑑賞する側に何も与えることのできない素人の作品には価値がないのかということになるのでしょうか。

個人的にはそれは違うのではないかと思っています。

作品にとっての価値とは受け取り手に対する価値ももちろん重要ではありますが、作品の作成の過程に、作り手にとっての価値が眠っているのではないかということです。

絵を描くときにも、写真を撮るときにも、俳句を詠むときにも共通することがあります。
それは普通に過ごしていると気付かない、日常における些細な一コマに出会うことができるということです。

つまり芸術を作る過程において、より注意深く日常を見つめ直すきっかけになることで、少なからずその人の人生を豊かにしているということなのです。

僕が写真を撮る意義

僕は写真を撮ることが好きで、旅に出るときはいつもカメラと一緒です。

そんな相棒のカメラのおかげで、旅先では有名観光地や絶景だけでなく、街角の何気ない一コマの美しさに気がつくことができました。

また、忘れてしまいそうな些細な思い出を形に残すこともできています。

 

公園でスケッチをする人たち。

定期的に集まってみんなでスケッチをしているのかなという想像をさせられます。

 

まだ肌寒い春の海を元気に駆け回る少年たち

前を走るのがお兄ちゃん、後ろが弟でしょうか。それとも友達なのでしょうか。

この日の数日前までは、ものすごく寒くて凍え死ぬのではないかと思っていたことも、写真という形に残しているからこそ、はっきりと覚えています。

 

落書きの前のベンチに腰掛けるカップル。

そもそも外国人の恋人関係ってどんなものなのだろうっていう疑問が生まれました。

 

このように、何気なく過ごしていると、見落としたり、すぐに忘れてしまうような些細な1コマに出会うことができているのは、僕にとっては相棒のカメラのおかげ以外の何物でもありません。

普通に過ごしていると、気づかない些細な日常や、さりげない疑問に目を向けることができていることが、僕にとっての写真を撮る意義の1つでもあるのです。

 

日々せわしなくすぎる生活の中で、私たちの周りには気がついていないだけで、人生に驚きを与えてくれるもので溢れています。

芸術はそれを鑑賞した受け取り手だけでなく、作品を作る過程で、発信する側の人生も豊かにし、些細なことに気付かせてくれる、そんな役割も果たしてくれているのではないでしょうか。